COLUMN01
2000/04/01執筆(2000/12/06再考)
現代消費社会に関する二小論
現代消費社会は様々な要素が絡み合って生成されているため,数多くの視点から分析することが可能である。このレポートでは,そのような様々な論点の中から二つ選び,述べることとする。
【1】 情報の意味が高まる消費社会
【2】 都市消費社会の女性化と二極分化
消費社会を観察するとき,最近目に付くのは情報に対する消費活動の著しい活発化である。
もちろん,情報に対する消費活動は以前から行われていたが,それはあくまでも情報が他の金銭的利潤を直接的に誘導するため(例:株式情報を入手することによってキャピタルゲインを得ることができる)という面が強かった。しかし,1990年代に入ってからの(広義の)情報産業はそれとは性質を異にするように思う。情報そのものが価値のある商品として消費の対象となり,また,場合によっては媒介物を通さずに情報そのものだけが消費の対象となっている。さらには,WWW上における情報の流通や,音楽・映像メディアの隆盛,コンピュータ・ソフト(註:これにかんしては先ほどの金銭的利潤の追求に通じるのだが,直接的には金銭的利潤を得ることは少ないのでこちらの区分に含めた)の伸びゆく消費に見られるように,情報に対する消費の需要がますます高まっている。
このような状況を見て考えるのは,消費社会の底部の変化が,消費社会全体を変容させている事実である。取引される新たな情報産業の商品は(特に娯楽分野において)かつての商品と異なった性質を含んでいる。それは,生産要素のうち,少数で有能な人的資源に依る部分が大きいということである。無論,情報の収集作業にはそれなりのコストも必要であるが,そこで必要なコストは,情報産業全体が発達し,効率化してゆくととともに減少してゆく。情報産業は自分自身の構造の内部に,効率化要因を含んでいるのである。ということは,産業が発達すればするほど先ほど述べた少数で有能な人的資源の重要性が高まってくると言える。人的資源(特に知的財産)に大きく依存する産業の場合,投資に対する利益はこれまでの他の産業に比べて莫大なものとなりうる。またこれに関連して投資の在り方も変容する。知的・人的資源に対する投資がふくれあがる可能性が高いのだ。無限の可能性を秘めているが目に見えない人的投資には多くの金がつぎ込まれ得る。その投資が失敗することもあろうが,成功した場合はこれまでよりも多額の利潤を投資家は手に入れることができる(固定資本に対して投資されることが少ないから)。現在のアメリカで見られるようなバブルの構造がここにはある。
しかし,このようなバブルの構造は崩壊しやすい。情報技術の陳腐化の速さが原因である。情報技術の革新のペースは速く,また,一歩遅れただけでその技術はまったく有用性を持たなくなる傾向が強い。例えば,鉄鋼製造に関わる機械の場合は,少々旧いものでも生産性が落ちるだけで有用性はゼロまで落ちないが,情報技術の場合は有用性はゼロに近くなる。開発競争の激しさと,万一基幹記述で遅れをとった時のリスクを考慮に入れると,情報産業におけるバブルには危険がつきまとう。(これまでの概念でいう)実体を伴わない情報産業が現在,成長し続けているが,非常に不安定な要素を含んでいるように思う。
消費される情報の質も変化している。受信型の情報から発信型の情報への変化である。WWWの普及によって発信型の情報が個々の消費者の手に渡ったような印象があるが,これまでも「発信型の情報の消費(矛盾したような言い方であるが)」は行われてきたし,最近ではより一層その傾向を強めつつある。その例として挙げられるのが,被服などである。個人の趣味によって購買されるといえばそれまでであるが,被服は消費者個人が着用することによって,その個人の内部の情報を他人に向かって発信する作用を持つ。ブランドとはその作用を高めたものであるといえよう。つまり,新たに発信することを目的とした情報の消費が増えてきているのである。
情報そのものに対するフェティッシュな欲望が高まっているという言い方もできよう。情報を発信するために情報を消費する,という図式が成り立っていることは否定できないように思う。
また,日々東京で生活して考えるのは都市消費社会の女性化と二極分化である。
まず,都市の女性化について考察する。ここでは社会学の都市論的分析を試みるわけではないので,都市の定義などに関する議論は省略するが,一般的に都市は様々な人々が集合し,また一部は居住し,生産・消費などの経済活動を行う場である。消費社会の立場から都市(主に東京)を観察すると,旧来は飲食店や商店などは家族(飲食店の場合は男性を志向する場合も多かった)を対象の中心に据えていたのに対し,最近では女性(特にティーンズ層〜F1層【註1】)を主眼に据えることが多くなっているように感じる。さらには,商店などの流通施設のみならず,都市そのものまでも女性志向に作りかえられている(構築されている)ようにすら感じられる。食品などのマーケティングでは,女子高生や若年OLが非常に重要視されるとも聞く。
もちろん,東京の都市は他の地域に比べて性質がより明確に分化されているので(渋谷,池袋,秋葉原,等)一概に女性化を当てはめることはできないが,最近の消費の落ち込みからの脱出を狙って新規に進出する店舗(大型店舗を含む)は女性志向型であるといってよかろう(台場地区〈ビーナスフォート〉や渋谷地区〈マークシティ〉,また横浜地区等)。渋谷などは,飲食店を含めて女性向けの店舗が多くなってきている。
では,なぜ最近になって,F1層や女性ティーンズ層が消費社会の中心的役割を果たすように見えるのだろうか。
まず第一に考えられるのは,男性志向的に作られていたかつての都市の中に,女性の社会進出に伴って女性向けの施設が増えただけであって,その現象が過去と対照的に見えるだけである,ということである。男性の消費行動が頭打ちになったため,さらなる消費の増加を見込むためには女性を対象にするのが得策と考えたと考えられる。
第二に考えられるのは,社会構造の問題である。日本のかつてからの価値観や男女観が崩れつつあるとは言え,未だ,金銭的に余裕のあるパラサイトシングル【註2】は男性よりも女性に多いように思う。また,一人暮らしをしている女性の中にも金銭的にパラサイトしている者もいると思われる。また,ティーンズ層は親の庇護を受けているため自らの得た(アルバイトや小遣い)金を気軽に消費に回すことができる。こうして,労働環境の関連(男性の上司との交際等)もあり,女性の方が金銭的に余裕があるという構造が生まれ,F1層や女性ティーンズ層に志向が集中するのではないだろうか。
第三に付加的な要因として考えられるのは,恋愛支出や家族支出において,消費対象を決定するのが女性である,という点である。決定するのは女性,支出するのは男性(家計),という構図が特に若年カップルでみられることは周知の通りである。女性志向ではあるが,支出しているのは男性,という構図の上に,女性志向型の都市消費社会は成立しているのかも知れない。
しかし,ここ数年では,ニュージェネレーション層【註3】の台頭により,かつてのDCブランドブームに見られた一極集中の消費トレンドが一部では見られなくなってきている。最近では消費トレンドが,「激安−こだわり」,「流行−自己主張」などの二極分化の方向に向かっている。
ではその二極分化はなぜ起こったのだろうか。「安い製品−こだわり品」の分化の背景には,消費不況があるように思われる。それまでのバブル時代は奢侈品の消費や土地や建物に対する投資が多く行われてきた。しかし,バブル崩壊と共にこの種の消費や投資は影を潜め,倹約ムードが高まってくるようになる中で,価格破壊の動きが見られた。現在もその価格破壊の後を受けて低価格商品の人気は高い。このような状況の中では,遠い先を見据えた計画を立てることも不可能ではないが,現在をストイックな節約生活に捧げることはなかなか辛い。そこで,それまで車などの奢侈品に使われてきた金が生活関連分野のこだわり商品に向けられるようになったのではないだろうか。将来に対する不透明感が貯蓄や投資,またそれに伴う現在の節約生活への困難を産む。そしてその結果,奢侈品に費やすほどの金はないという要因も加わって,現在の快適性を求めて生活関連分野のこだわり商品(いわゆる「ワンランク上の商品」)への消費が増している,と考えられはしないだろうか。
脚註
【註1】ティーンズ層とは13歳〜19歳の男女のことを指す。また,F1層とは女性の20歳〜35歳までの層のことを指し,マーケティングやテレビの視聴率のキーとされることが多い。F1層は消費の中心的役割を果たしているとされる。ちなみに,Fは女性を表すfemaleの頭文字Fである。【本文へ戻る】
【註2】寄生する独身男女。年頃になっても独立・結婚せずに,親元で安穏と暮らす男女のことをこう呼ぶ。ジェンダー論用語であるが,最近では一般名詞化した模様。【本文へ戻る】
【註3】「情報ネットワーク社会の中で能動的な情報選択を行い,自分なりの「こだわり」を大切にするという傾向を持つ層。必ずしも年齢で区分することは適切とは言えないが,20〜30歳代を中心としており,そのおおよその中心に位置する『団魂ジュニア世代(1971〜74年生れ)』だけでも,約800万人のマーケットを形成している。(wiLLブランドホームページより)」【本文へ戻る】
参考文献
●wiLLブランドホームページ(http://www.willshop.com/)