REPORT02
1998年度冬学期(1年次)
言語2
電子メールと日本語
1 はじめに
東京大学では,入学した学生は教養学部時代に必ず情報処理を履修することになっており,その中では電子メールやウェブなどの「言葉による情報・通信手段」が扱われることになっている。つまり,学生全員が電子メールやウェブを利用しているということである。また,東京大学に限らず,最近では全国の多くの大学で学生が電子メールやウェブを利用しているし,社会においても広く一般的に用いられる通信手段となっている。
この間,私も冊子を編集するため,その原稿をクラスメイトから電子メールで提出してもらった。その際に気付いたことがある。「紙に書いて提出してもらった原稿・紙に書かれた手紙文」と「電子メールによって提出してもらった原稿・電子メールによる手紙文」の間には文章に何か違いがあるような気がする,ということである。もちろん,その違いは普遍的なものではなく,人によっては紙に書いた手紙と電子メールと話し言葉がほとんど変わらない場合もある。また,その違いを,何かの数値的データに基づいたりして断定的に指摘することもなかなかできない。そのため,あくまでも私が感じたという「経験」に議論が即してしまっていることを頭に入れた上で読み進めていただきたい。
2 本論
では,まず「紙に書いて提出してもらった原稿・紙に書かれた手紙文など」(これを(p)……paperとする)と「電子メールによって提出してもらった原稿・電子メールによる手紙文など」(これを(e)……electricとする)の違いを次に2点挙げる。
(1)読点の打ちかた……(p)よりも(e)の方が文章中の読点(,)の数が多い(文節ごとに打たれていることもある),あるいは少ない。また,このことに派生して,一文の長さが長くなったり短くなったりしがちである。
(2)漢字の相違・かなの多用……(e)では,例えば,「こと→事」,「ため→為」のように,形式名詞は漢字に変換されている場合が多い一方で,本来漢字に変換されるべき箇所が平仮名のままになっていたり,平仮名で書く箇所が片仮名で書かれている場合も多い。
この相違の背景には,いくつかの要因が考えられるが,それらは以下に集約される。
(1)テキストエディタでの「仮名漢字変換」という作業の必要性
(2)文章を文字化する速さ
(3)削除・訂正可能性の高さ
(e)は,それまでとは異なる環境での言葉と言わねばなるまい。
まず言えるのは,(e)が「書き言葉」と「話し言葉」の中間に位置しているということである。(e)の場合,(2)に関して言えば,考えたことを即座に表現できるわけでもないが,(p)ほど時間がかかるわけではない。黷フ場合は,「考える」という行為と「書く」という行為の間にタイム・ラグがあることで,当初考えた文章と実際に書かれる文章が違ってきたりするのだが,(e)の場合はそれが起きにくい。そして,考えたことをそのまま表現できる──思いついたことをそのまま述べられる──からこそ,読点の数が多くなったり少なくなったりするのではないだろうか。次から次へと文章が思い浮かぶから読点を打つ暇もなく文章を打ち続け,断片的に伝えたいことが浮かぶから読点が多かったり,一文が短かったりする,と考えられはしないだろうか。また,(3)も重要な要因である。テキストエディタを用いて文章を作成する場合,手紙ほど神経質になる必要はない。だからこそ,練ることなく,思いつくままに文章を打ち込んでいけるのである。もしも気に入らなかったら,削除キーを用いて訂正すれば事は済む。訂正は(p)に比べたらはるかに簡単なのである。つまり,結果として,「話し言葉」に近い文章を伝達しようとするのに適した手段が電子メールであり,逆に,電子メールの持つこのような性質が電子メールを「話し言葉」に近い文章を伝達する手段たらしめたのである。また,片仮名が文章中で多用されるのも「話し言葉っぽさ」をできるだけ醸し出そうという働きによるものであると思われる。「書き言葉」と違った雰囲気を文章に与えることで,「書き言葉」とは違ったものである(=「話し言葉」である)ということを主張しているのである。
次に言えるのは,(1)に挙げた,「テキストエディタでの『仮名漢字変換』という作業の必要性」の問題である。この問題は電子メールやウェブに限らず,ワードプロセッサが世に出回った頃から存在しているのであるが,漢字のあり方に関わる問題である。日本語を使う(少なくとも母語とする)人間は,手書きで文章を書く際,どのような意識で文章中で漢字を使っているだろうか。少なくともテキストエディタで漢字を用いるときのように,仮名をまず思い浮かべて漢字に変換したり,漢字を選ぶ作業をする場合は少ない。(ここで「少ない」と書いたのは,そのような場合が少なからずあるということである。例えば,「体重をハカる」という文章を書く際,「ハカる」という漢字をいくつかの漢字の候補の中から選ぶという作業をする場合もないとは言えないからである。)たいていの場合,書きたいことが「音」として頭に浮かんだ後,それが直接漢字として出力されているように思う。すなわち,「音→漢字」というプロセスをたどっているのである。つまり,漢字を用いる際にたどる思考過程・作業過程が異なっているのである。このことがどんな影響を言葉に与えているのか,また,与えていくのかは不明だが,日本語ワープロを制作するために,人間が意図的に作り出した「特殊な漢字記述過程」が,我々にすんなりと受け入れられているのは興味深い現象である。また,テキストエディタを用いて文章を作成する際は「音→仮名→漢字」というプロセスをたどるのに対し,読むときは従前と同じく「漢字→音」という過程をたどる。この相違に対して何ら不自然な感覚を抱かない我々の言語に関する認識も不思議なものである。この他,「漢字を選ぶ」という作業によって,普段使わない漢字を「変換して出てくるから使ってやろうか」と文章中に使ったり,普段なら仮名書きする形式名詞を「一旦漢字変換されたものをいちいち仮名に戻すのも面倒だから」または無意識に用いるという現象も生じてくるのである。
さらに,仮名を入力する際,多くの人が「ローマ字仮名入力」を用いている。これは,「音→仮名」をいう作業を通じて仮名を入力するメソッドである。昔から日本語を母語とする人たちは「音素」という概念を持たなかったように思う。英語やフランス語などのいわゆる「アルファベット言語」の場合は,直接アルファベットをキーボードから入力すればよいし,また,音素と密接に関連している表記を持った言語であるために,テキストエディタによる文章作成も彼らにとってはそう不自然ではなかったはずである。しかし,日本語は違った。いろは歌に見られるように,昔の人々が音素を意識していたとは思えない(五十音表は音素を意識したものであると言えよう)。そのようなアルファベット圏を中心に据えた,日本語をローマ字を用いた音素に分解して入力するというメソッドは,我々に「音素」という概念を常に意識させ,日本語のとらえ方に影響を与えているのである。もちろん,「音素」で日本語を語るのには無理がある。中国語に代表されるように,本来アルファベット表記をしない言語を音素入力する際には無理が生じてしまう。しかし,日本語をコンピュータで扱うのにこれ以上の方法は現在のところ考えられていないので,受け入れざるを得ないのである。音声を認識し入力する装置もあるが,「話し言葉」を「書き言葉」として扱ったり,「書き言葉」を音声として発したりせねばならず,現状を根本的に解決してはいない。
3 結び
中国では(地域によるが)繁体字を簡体字に変えた。また,極端な例では韓国では漢字をハングルと呼ばれる表音記号に変えた。歴史の中ではトルコなどにも見られるように,識字率を上げるなどの目的で言葉が変えられてきた。
現代では,技術という新しい力によって言葉が変わろうとしている。UNI-CODEの提唱もその一種である。言葉は本来時代と共に変化していくものであるが,技術の変化が急なだけに言葉も急激に変化している。言葉は人間が意識しないうちに変化するだけに,その変化を意識して見守ってゆくことも必要であろう。
4 参考資料
●「特集 漢字WAR」,『季刊 インターコミュニケーション』No.27:48-112,NTT出版