REPORT06


1999年度冬学期(2年次)
教育原理2
浦野東洋一他『現代学校論』感想

 まず,この本全体を通じて感じられたのは「学校の社会に対する,そして生徒本人に対する役割の大きさ」である。学校は単に生徒に学力を与えるだけではなく,全人格的な教育をすることが求められ,また地域住民に開かれることが求められ,国際化・情報化を遂げることが求められ……と,学校が果たすことが期待されている役割が時代の流れとともに拡大しているのである。確かに時代が変化するとともに,国民に必須とされる(=学校が与えることが必須とされる)知識や技能は変化するし,コミュニティや家族の形態の変化に伴って,社会の中における学校のありかたは変化してゆくのは当然である。しかし,それに対応すべく学校の内部での変革は果たして進んでいるだろうか。時代や社会の変化の速さに追いついていけていないのが実状ではないだろうか。

 この本の構成が,様々な分野に関しての,数人の執筆陣による短い記述が集成されている,というものなので,本全体に対する書評は述べにくい。よって,ここでは先ほど述べた点から見て2つの気になったトピックを取り上げる。そしてそれらのトピックに対して私なりの感想と若干の意見を述べることにする。

1 校長の学校運営と学校改革

 学校が変革していくためには,強いリーダーシップをもった人物の存在が必須である。本の中でも述べられているように,(法に抵触しながらも)これまでの「職員会議を学校の最高意志決定機関とし」た体制の中では,学校が大きく変革してゆくことは不可能である。現代の学校の教職員に求められている課題は,その処理能力に比して多大であるため,学校の姿勢・方針の変更に取り組みたくても取り組めないのが実状である。また,職員の過半数が他の学校へ,または他の学校から異動することもほぼあり得ないため,何もなければ旧い体制や過去の前例を引きずる傾向にあるといえる。もちろん,根本的な解決には教職員に対する負担の軽減や分散化・専門家が必要であるが,このような状況の中で学校内部に変革をもたらすためには校長の存在は必然的にクローズアップされてくる。

 しかし,私の経験から考えると,小学校・中学校・高等学校と,校長が変わったからといって(あくまでも児童・生徒の立場からだが),これといって学校が変わったという印象は持たなかった。これは,特に公立学校の場合は各学校が地方公共団体の教育委員会から拘束を受けているためであろう。公立学校,特に義務教育課程の場合は,児童や生徒が居住している地域によって通学する学校が実質決定されるため,教育委員会が,その地方公共団体内に居住している児童や生徒に等質の教育を施そうとするためであると考えられる。しかし,等質の教育を目指すということは,先進的な試みが評価されにくく,排除されやすいということでもある。

 学校が時代の要求に応じて変化していくためには,国→教育委員会→学校といったトップダウン型の伝達では時間がかかり過ぎる他,現場の声を如実に反映しているものにもなりにくい。学校からのボトムアップ型の変化が必要である。また,このような変革が実現するためには,まずは地方公共団体の教育委員会の教育に対する姿勢の変化が必要である。本の中にも,学校の備品が教育委員会に請求してから1年以上経ってから支給されるという例が取り上げられているが,教育委員会は行政の一部であるという意識が強いためであろうか,教育は時事刻々と変化していることや,実際の教育現場でのダイナミックな教育に対する認識が甘いように思われるのだ。

 また,校長の決定権の強化と,教育委員会の柔軟性が仮に実現した場合には,公立学校でも私立学校なみに教育の差異化が進むことになる。その結果,原則として居住地で進学学校が決まる公立学校の場合は,児童・生徒(の保護者)による学校の選択権という問題が生じる。教育委員会が均質的な教育を目指すと体制が硬直し,また,柔軟性を認めると児童や生徒に対する機会均等の問題(公立学校の選択権の問題)が生じるのである。また,さらに公立学校の場合は私立学校と異なり,校長の転任が数年に一度行われる。学校単位で見た場合の教育方針の整合性が取れるかどうかという問題もこの先には横たわっているのである。

2 学校そして教師に求められているもの

 これは本全体を通じて感じたことであるが,学校組織は私の想像以上に緻密なものである。教員はその緻密な組織の中で,非常に多くの仕事を抱えている。教員は児童・生徒に教育をする教育者であるばかりでなく,学校運営ための構成員でもある。

 はじめにも述べたように学校教育に求められているものは増大しつつある。そして当然のことながら,これに伴って個々の教員に求められているものも増大しつつある。しかし,教員の現状を考えると,このまま学校内部のシステムが変化しなければ,今後増大するであろう要求は個々の教員の能力を超えたものになる可能性が高い。

 現在ですら,教員の間からは生徒と時間をかけて話す時間がないといった不満が噴出している。しかも,(現在でもその傾向が見られるが)学校,特に教員に求められる能力や仕事内容はますます専門的になっており,一般の教員がそのすべてをこなすことは不可能である。これまでのように,一般の教員に新たな負担を強いては,教育の質の低下を招く可能性がある。子どもに対して十分な教育を提供するためにも,専門的知識が必要とされる心のカウンセリングや情報処理,総合的学習などの専任スタッフを学校に置くべきである(常駐が好ましいが,場合によっては数校で共有しても構わない)。そして,学校組織の緻密性を生かして学級担任などの教員と密に連絡をとってゆくのである。また,専任スタッフを各校に常駐させる場合には,学校間のスタッフの情報交換や交流が必須となる。が,本の中では養護教諭の例が挙げられていたが,専任スタッフは学校の中では孤独な存在であり,同業者とのコミニュケーションや情報交換によるスキルアップが非常に重要であるにも関わらず,その多忙さや学校間の交流の希薄さ(機会のなさ)からなかなか困難なのが現状である。私は専任スタッフの導入はこの問題の解決にある程度の解決を与えると考える。専任スタッフの導入によって各スタッフの任務が明確化し,その分だけ自らの専門分野に集中することができる(当然各専門スタッフは他のスタッフや教員と密な連携をとらなければならないが)からである。教育を全体から捉えられない,一人の教員が児童・生徒を多面的に捉えにくいという観点から,専門化を嫌う声もあるであろう。しかし,私は一人の教員の負担の大きさがに起因する害の方がゆゆしき問題であるように感じられる。私の経験に照らし合わせて考えてみると,現状では養護教諭や一部の教諭がかなりの負担を強いられているように思う。特に養護教諭の場合は深刻で,児童・生徒の健康管理,病人の処置,不登校児のカウンセリングおよび担任や保護者との面会,健康教育など,あまりにも広範な負担が強いられてきた。昔ながらの組織系統に,無理矢理新しい機能を盛り込もうとした結果生じた「歪み」とでもいうべきものがここには見て取れるのである。

 これは1で述べた内容と関連するが,明らかに現在,学校組織の変革が求められている。学校外部との連携やコミュニケート,内部組織の時代の要求に応じた変化(緻密性を残しつつも専門スタッフの設置や管轄範囲の明確化を行う)が今後の学校には求められているのである。