REPORT15
2000年度夏学期(3年次)
比較社会論演習
1945以降 ――(1)南北間の今後・(2)メディアからのナショナリズム
はじめに
副題にもあるように,このレポートには異なる二つのアカデミック・エセーが含まれている。
まず,第1部「南北間の今後」として,1945年以降の南北間ナショナリズムに関する議論を改めて整理したのち,最近行われた南北頂上会談の意味と今後の両国の方向について自分なりの考えを述べる。
次に,第2部「メディアからのナショナリズム」として,私の関心対象であるメディア論(サイバースペース論)の観点から,韓半島(韓民族)ナショナリズムについて考察する。論点は,文字コード関係の問題である。
第1部 南北間の今後
解放後の南北間ナショナリズムの葛藤構造
まず,議論の前提として,金榮作「解放後における南北間ナショナリズムの思想的葛藤構造」の内容を大まかにさらっておこう。
韓半島が日帝から解放されたのは1945年8月15日であったが,これは完全な解放というわけではなく,あくまでも日帝の代わりの外国勢力の軍事的占領下での「解放」であり,イデオロギーを異にする米・ソ両国による分断の下での「解放」であった。その結果,韓民族にとってはこのような占領やイデオロギー的対立を乗り越えた統一独立国家の建設が第一義的な課題となったのである。
しかしながら,解放後にはナショナリズムをめぐる思想的な葛藤が韓半島内部で生じた。その内容を整理すると,まず,(1)日帝の植民地残滓の清算をめぐっての葛藤が挙げられる。これは,日帝植民地時代の残滓の清算としての「民族的」・「民主的」革命の課題をめぐっての葛藤であった。また,(2)東西イデオロギーの選択をめぐっての対立が第二に挙げられる。これは,「民族的」・「民主的」革命が,日帝植民地時代の残滓を清算するという消極的な意味を超えて,より積極的な意味での革命としての新しい体勢をどのようなイデオロギーに基づいて創り上げるべきかをめぐる対立であった。最後に,韓半島の運命を最も大きく左右したと思われるのが,(3)東西の普遍的イデオロギーの選択を重視するか,それとも統一国家の建設というナショナリズムの課題を重視するのかをめぐっての葛藤であった。これはすなわち,国際冷戦に便乗すべきか,国内冷戦化を阻止するべきかをめぐる葛藤・対立であった。
韓半島の解放後は米・ソ両国の占領下で,北では植民地残滓を完全に払拭する政策が採られる反面,南では占領政策の円滑化を目論み,親日勢力を占領に利用したため植民地残滓は残り続けた。また,南では国際的な冷戦が進む中で西側陣営の一員として組み込まれ,共産党弾圧が行われたり,反共・自由主義を標榜するイ・スンマン(李承晩)によって大勢が掌握された。さらに,1945年のモスクワ会議における信託統治案をめぐって南北の溝は深まり,また,このようにして体制間の選択と国際冷戦を韓半島内に持ち込んだ米・ソ列強に対する態度と関連して,韓民族としてのナショナリズムは空洞化を始めたのである。
そして,結局,南では1946年にイ・スンマンによる臨時政府設立が提案され,1948年に正式に南のみの単独政府が樹立される。北では,1945年にキム・イルソン(金日成)が共産党総書記に就任し,イデオロギーによる政権樹立の優先を提起,1948年にはこちらも正式に北のみの単独政府が樹立されることとなり,この分断は現在まで続いているのである。
両国歩み寄りの方法
以上,1945年以降の南北両国の思想的葛藤やイデオロギー的対立を概観してきたが,今後,南北が歩み寄り,統一に向けての働きかけが行われるとしたら,どのような形が考えられ,どのような形が理想的であろうか。
まず,南北のどちらが統一へ向けた主導権を握るかということであるが,主導権を握るのは恐らく南であろう。北のチュチェ(主体)思想に基づく様々な政策はすでに齟齬をきたしており,国際的な常識から見れば,すでに崩壊しているも同然だからである。チュチェ思想を体現している行動としてはチュチェ農法が有名であるが,これも周知の通り機能しておらず,海外からの食糧援助に頼らなければならない状況に陥っている。自給自足せざるを得ない食糧面においてすらこのような状況であり,国家の基盤については北は弁明する言葉を持ち得ない。一方,南は通貨危機をなんとか乗り越え,現在では高度経済成長を遂げるアジアの注目株である。また,国際的な信用も徐々に高まり,国際社会の表舞台に登る機会も出てきた。このような南が主導権を握ることは,国際社会全体の企図を韓半島問題に反映させる上で有用だし,北にとっても国際社会へのゲートウェイを開くという点でプラスに働くと考えられるからである。
しかしながら,北にはチュチェ思想という強固な思想的拠りどころがあるため,南に対して口を開かせるのは容易ではないだろう。しかし,北が人道的援助を永劫に受け続けることはできない。また,市民が衛星放送などによって空から国外の情報を入手することもできるようになった。さらに,やや推測の域を出ないが,効率性に惹かれて重厚長大型産業から弱電系の産業やコンピュータ関係の産業へと産業構造をシフトすることによって,必然的に国外のネットワークとの接続が必要となって,国外情報が流入するという事態が発生することも予想される。このような国内・国外環境の変化に伴って,北の現体制は内部から脆弱化の度を進めるのではないかと思われる。
ただ,南が主導権を握るとはいえ,交渉の重要なキーを握るのは北の可能性が高い。北は軍事や拉致疑惑,離散家族などの問題を交渉材料として利用し,これらの問題に関して直接的な利害関係のある国が強気の態度で出ることを阻止しているのである。北が最近になって日本に植民地時代の補償を要求してきたのも,このような行動の一つであると考えられる(なぜなら,既述したように,南に比べて北は日帝の植民地残滓を早いうちに払拭しているはずであり,北のこの行動は北内部の感情に起因するものではなく,南の行動を模倣したものとしか考えられないからである)。これらの問題に対処するためには,国際社会のバックアップが不可欠であり,関係各国は長期にわたる交渉を行う必要がある。拉致疑惑や離散家族の問題は極めて個人の感情に根ざした問題であり,国家がその感情をふさぎ込むのには限界があるからである。
では,南が主導権を握ったうえで,どのような形での歩み寄りが理想的であろうか。
まず,経済的な影響を忘れることはできない。ドイツの例を見るまでもなく,仮に北が急激に資本主義社会化すれば,南へは大量の労働者が流入し,南の経済は再び低迷することは明らかである。また,北が内部崩壊を起こしたとしても,大量の北側国民が難民という形で日本を含めた周辺各国に押し寄せるだろうし,北の国土が荒廃しきった状態で統一が達成されたとしても,その復興に莫大な予算と時間がかかってしまう。このような影響を考えると,北をソフト・ランディングさせることが南北双方にとって有利であることが導ける。北に最低限の援助や譲歩を行いながらも,その見返りとして北を国際社会に導き出し,資本主義のシステムの中に徐々に組み入れていくことが必要である。最近,韓国企業が北に工場を建設したりと,北側に進出するという話をよく耳にするが,これもソフト・ランディングの実現のために大いに有効であると考えられる。
先ほども述べたように,政治面では,北がチュチェ思想に固執したイデオロギーを持っていては,現在の国際社会の中での国の存立のみならず,国そのものの維持が実務的に困難であるという「事実」を受け,北は自らを国際社会に適合したものに変革してゆかなければならない。しかし,北側はその必要性を十分に認識しているはずである。例えば先ほども述べた韓国企業の受け入れもその一環であろう。私は,北が(少なくとも経済面においては)変容の片鱗を見せているように思うし,この方向で北に変革がなされることを期待している。
南北頂上会談意味
最後に,2000年6月に行われた南北頂上会談の私なりの解釈(意味付け)をして1本目のエセーを終わりたい。
私は,今回の南北頂上会談は一種のパフォーマンスとしては大きな意味があったとは思っているが,南にとって実質的な収穫はあまりなかったように思う。韓半島に世界の注目を集めたという点と,南北関係に関する議論を活性化したという点では評価でき,歴史の重要な一ページであることは認める。しかし,今回の一番の成果は,北のイメージアップ,もっと穿った見方をすれば,人道的援助を引き出すための方策,そしてチヨテシ思想を北の国民に再確認させるための方策が成功したことにあったようにすら思われる。ア霖、タマの姿は北に対する好印象を南を含む世界中に与えたのである。
あくまでも南北頂上会談も,離散家族の再開も北側の(そして南側の)パフォーマンスであるということを頭に入れ,北の動向に注目する必要がある。
第2部 メディアからのナショナリズム
話は大きく変わるが,今度は私の関心分野であるメディア,特にコンピュータネットワーク上における文字コードの問題から韓半島のナショナリズムについて少々考察してみたい。
文字について
韓半島では現在ではハングルが言語表記に用いられているが,私は,ハングルは民族的ナショナリズムを意識させるものとして機能していると考えている。ハングルはその出自からして,中国文化の代表格とも言える漢字から訣別すべく生まれた文字であり,また,ハングルを用いているのが韓半島だけであるという点も,ハングルのその機能をより強めている。日本における漢字かな交じり文も同様に民族的ナショナリズムを意識させているが,完全にオリジナルの文字として考案されたハングルとはその機能の強さは大きく異なる。
しかし,最近,ハングルのあり方が大きく変わってきている。インターネットなどのコンピュータネットワークの普及によって,ホームページに情報を掲載したり,電子メールで情報をやりとりすることが多くなってきているが,この利用に際して,日本語やハングルなどのいわゆる「2バイト文字(非アルファベット文字)」に関する問題が生じているのだ。コンピュータネットワーク上ではアルファベット言語が標準語であるため,日本語やハングルなどは非常にネットワークに乗りにくいのである。
アルファベット言語のホームページを閲覧する際には特別に何も必要ないのだが,ハングルのホームページを見ようと思えば,自分の所有するコンピュータにハングルのフォントが組み込まれていなければならない。国境を超えて拡がり,どこでも誰でも情報を入手できるといわれるコンピュータネットワークの上で,このような現象は「誰でも情報を入手できる」という要素に反するものである。しかし,言い換えれば二バイト文字をコンピュータネットワーク上で用いることは,送り手側も受け手側も,例えばハングルならハングルに対する準備が必要なのであり,これは,世界に拡がるコンピュータネットワークの中でお互いにハングルフォントを持っている(=韓半島ナショナリズムを意識している)ことが必要である。つまり,コンピュータメットワーク上でハングルや日本語などの二バイト文字を用いることは,ナショナリズムを意識させるという働きをしているという点で,国境を超えて拡がり,どこでも誰でも情報を入手できるという通常考えられているコンピュータ(ネットワーク)の姿に新たな側面を与えているのである。
参考文献
●本とコンピュータ編集室,2000,『別冊本とコンピュータ3 コリアンドリーム!』,トランスアート
●金榮作,[発行年不明],「解放後における南北間ナショナリズムの思想的葛藤構造」,『20世紀アジアの国際関係III』(衞藤瀋吉先生古稀記念論文集編集委員会編),原書房