REPORT22


2000年度冬学期(3年次)
言語情報科学三
中原中也『夜の窓』解釈

はじめに

 このレポートでは,講義の中で扱われた詩の中で,中原中也の『夜の窓』を解釈することにする。レポートの都合上,まず,これを引用して行番号を付す。

01 深夜
02 窓がことこと音をたてている
03 しめ忘れたひとつの窓

04 おくれ毛をかき上げながら
05 しめ忘れたひとつの窓をしめる
06 頭蓋骨に空いたひとつの窓

07 純白の部屋の中の純白のベッド
08 いつのまにかまた窓があいている
09 ことこと音をたてている

10 深夜
11 遠い櫟林のなかの公衆電話室に
12 灯がついている
13 たれもいない公衆電話室に灯がついている

形式的着目点

 最初に,講義中に触れられた点を含め,形式的な特徴とその効果を挙げる。

 まず気づくのは,この詩の中では同じ語が繰り返し用いられていることである。その中でも特に「窓」,「……ている」の二語が多用されている。「窓」はこの詩のタイトルにも使われているように,この詩のキーワードであり,その語だけからでも,多様な連想・含意を導くことができる。しかし,詩の中で果たしている役割はそれだけではない。詩は,当然のことながら一編全体を通じて何らかの含意を持っている。しかし,それぞれの行・連にもさまざまな含意が散りばめられており,詩が行・連単位に分離してしまうおそれもある。同じ語(ここでは窓)を繰り返し使うことによって,13行の詩をひとつにまとめあげ,一体感を醸し出す役割を果たしているのである。また,「……ている」という文末表現も,窓同様に一体感を与えるとともに,一種の脚韻のごとき働きをして,詩全体にリズム感を出している。

 次に指摘したいのは,この四連が詩でありながら起承転結の構成をとっていることである。第一連で窓が開いていることを話題として提起し,第二連で窓を閉めるという行為で受ける。そして第三連で再び窓が開き,第四連でその窓が開くという現象を解く手がかりが与えられるのである。読み手にとっては,読み慣れている散文との類似性を感じることができ,読みやすい詩であるとの印象を受ける。

 また,対比の構造が見られる。01の深夜という語と07の純白という語の対比,そして10の深夜という語と13の灯という語の対比である。暗と明という人間が本能的に持っている対比意識──神と悪魔,古代ペルシアにおけるゾロアスター教に登場するアフラマヅダとアーリマンなど,神話に深い関連があるとも言えよう──を用い,詩のイメージを頭に浮かべることを容易ならしめている。

比喩に着目して解釈すると

 では,詩的表現の真骨頂ともいうべき比喩表現に着目して,その伝えんとすることを考えてみる。

 比喩表現とは一般に言って,「ある対象(a)を,類の異なる別の対象(b)に,類の境界を超越したある共通点(c)に基づいて例える表現技法」である。すなわち,この(a)(b)(c)の三要素を整理することが比喩表現を解釈する際の基本である。当然,一編の詩の中の言葉を解釈する訳であるから,他の語との相互関係も加味して如考えなければならない。この詩の中で解釈が必要と思われる語は,「深夜・夜,窓,純白の部屋・純白のベッド,櫟林,公衆電話室,灯」である。

 私は,深夜をそのままの意味で受けとめ,この詩は直接的には夢のことを言っているのだと考える。窓はまさに心の窓のことである。それは06に「頭蓋骨にあいたひとつの窓」と書かれていることからの連想である。夜,すべての知覚・五感を遮断してベッドに入る女性。しかし睡眠が深くなる深夜になると,不思議な感覚・知覚,すなわち夢がどこからともなく脳に送り込まれるのである。それを無視して眠りに就くことはできない。夢は,ことこととまるで自分を呼ぶかのように働きかけるのである。窓を閉めて再び眠りに就こうとしても,いつの間にか再び自分を呼ぶ夢。純白の部屋・純白のベッドは,起きているときに現実生活を送るための様々な知恵・知識・常識──すべてが先入観,そして人間に後から付与されたものと言えるだろう──が取り払われた頭の状態を指している。ひょっとしたら,大脳のやわらかい,こわれやすい,そして灰白色の物理的な性質もこの表現を導き出すのに寄与しているかもしれない。どこからその知覚がやってくるのだろう,と窓の外を眺める女性。すると,目に飛び込む遠い櫟林の彼方の電話ボックス。あそこから知覚がやってくるのだろうか。遠い記憶の彼方,ひょっとしたら記憶にいないかもしれない誰かが自分に何かを伝えようとしているのかもしれない。人間は,電話をかけようとして電話ボックスに入るのであり,電話を受けようとして電話ボックスに入るわけではない。電話ボックスは情報発信の装置なのだ。そして,誰もが電話ボックスには入ることができる。遠い彼方で自分に情報を伝えてくれるのは,ひょっとしたら自分の知らない誰かかもしれない。──しかし,電話ボックスには誰もいない。さっきまで誰かいたのかもしれないが。一見,自分の外部からやってくるように感じられる夢,だが,実際には外部の誰も情報を発信していない。自分の内部からその情報はやってくるのだ。ひょっとしたら外部から情報がやってくるのかもしれないが,それが誰なのか,そして,外部からやってきたという事実自体を確認することはできない。

 04の「おくれ毛をかき上げながら」から,登場人物を女性と考えたが,これもまた,作者が昔から言われている女性の神秘性や感受性の鋭さ,ひいては霊的な能力を──日本ではイタコがよい例である──連想して女性を登場させたのであろう。

 さらに,今述べてきた「夢を見る」ということも,何かの比喩になっているのではないかと考えることもできる。閃きや直感など,生きていてどこからともなくやってくる不思議な知覚を「夢を見る」という行為で代表させていると考えることもできるのではないだろうか。