REPORT23


2002年度冬学期(5年次)
韓国朝鮮文化論一
韓国映画に関して――韓国映画に見る新しい女性像

 映画には,それを制作した人間の視点はもちろんのこと,その国を取り囲む価値観や世界観を切り取る働きがあると私は日頃から思っている。フランス映画から溢れるアンニュイな雰囲気,ハリウッド映画から感じられる大胆さ,日本映画から感じられる綿密さ……。このレポートでは,授業で扱った映画と,私が個人的に鑑賞した映画を元にして,韓国映画に現れた女性像をテーマにまとめてみたいと思う。

韓国を代表する映画である「春香伝」,そして,授業で扱った「誤発弾」や「クジラ捕り」などから言えることは,かつての韓国映画では,女性はひたすら堪え忍ぶという「良妻賢母」型に表現されることが多かったということである。もちろん,主役(ヒロイン)である場合もあるのだが,「春香伝」ではあくまでも契りを結んだ男性を待つ一方であり,「クジラ捕り」では主人公グループの一員でありながらも,唖者であったりと,何かと悲劇的に描かれる場合が多い。

 当然,軍事独裁政権下では検閲もあり,自由に映画を制作できなかったという事情から,文学作品(それもやはり女性は悲劇的に描かれる場合が多いのであろう)を下敷きとした作品や,政府の意向(女性は労働力再生産のための影の存在である)に沿った作品ばかりが溢れかえったという現実もあろう。しかしながら,黄金期といわれる1980年代の映画においても,そして現代版(2000年制作)の「春香伝」にしても,「下女」にしても,いずれにしても女性は影の存在であり,また,正体の分からない怪しい存在であり,そして,悲劇的な存在だったのである。

 その描き方が変化したのは,やはりブロックバスター映画の時代,すなわち2000年代に入ってからである。「シュリ」や「共同警備区域」に登場する女性主人公は,仮に悲劇的な存在であったとしても,昔の意味での悲劇的な存在ではない。男性に焦点が置かれ,女性は影の存在になる,といった悲劇のヒロインはもう存在しないのである。ただ,ここで注意しなければならないのは,いわゆる娯楽的な作品と,芸術映画と称される一群の作品を混同してはならないということである。2000年代の映画を,いわゆるブロックバスター,一般映画,芸術映画の三種に分けたとすると,そこに登場する女性主人公の役割や描かれ方は異なっている。

 まず,第一にブロックバスターの場合である。具体的な作品名としては「シュリ」や「共同警備区域」,「武士(興行成績は伸び悩んだが,制作には異例の50億ウォンがかけられている)」などが挙げられるだろう。ここでは女性は十分に主人公であり,男性と同じ程度の重要な役割が与えられている。「シュリ」の中では女性主人公は共和国のスパイであり,かつ,話を左右するキーパーソンである。「共同警備区域」でも,複雑な過去を背負っている設定で,話の展開上,重要な位置を占めている。ブロックバスター映画の場合,あくまでも手本はハリウッドであり,これを韓国風にアレンジ,消化したらどうなるか,という内容であることが多い。そのため,ハリウッド映画でもそうであるように,女性主人公が登場し,そして話の展開を左右する大きな役割を担っているのはないだろうか。

 第二に,一般映画の場合である。最も韓国の社会の雰囲気を映し出しているのがこの分野であるといってもよかろう。娯楽として映画を観るのであるから,自分が生きている,まさにその場にあり得なければならない。もちろん,「チャンピオン」や「ワイキキブラザーズ」,「友よ(チング)」のように男性の友情や男性を描いた作品では女性は脇役に甘んずる場合が多いものの,「猟奇的な彼女」ではまさに「猟奇的な(韓国語での意味で)」女性主人公が登場する。また,芸術映画に分類すべきかもしれないが,「子猫をお願い」はインチョンの商業高校を卒業した三人の若い女性の日常と運命を描いているし,「春の日は過ぎ行く」も女性に振り回されるのは録音技師の男性の側である。ややインディーズ映画の雰囲気があるものの,「処女の夕食」では女性の日常を描き男性はあくまでも脇役である。また「黄色い頭2」ではトランスジェンダータレントのハリスを登場させることによって,変わりつつある韓国の価値観を描くことに成功している。「ワニとジュナ」,「いい人いたら紹介して」,「結婚は狂気の沙汰」,「寵愛」,「密愛」,「虹を超えて」など,数えればきりがないが,いわゆる恋愛を描いた映画が多数制作されているのも,女性がこれまでの抑圧の対象から脱皮したことを表しており,また,個性をもった(ステレオタイプ的ではない)心材として韓国社会に認知されていることを示しているといえる。

 第三の芸術映画としては,「チョウ」や「花島」など,その薄氷の芸術性を描くために女性主人公を登場させている。いずれの映画においても,主人公たる女性は何らかの過去を背負い,非常に個性的な存在として描かれている。また,逆に言えば,女性が主人公でなければ醸し出すことが難しいだろうと思われる浮遊感,現実感を上手に表現していると言える。

 このように,韓国映画に登場する女性像について簡単にまとめてみたが,2000年代に入ってからの韓国映画界は,文化立国を指向する国(文化観光部)や世界化を指向する一般社会の雰囲気の中で,韓国らしさを醸し出しながらも,どの国の人間が観ても同じ感動や印象を受けることのできる映画作りに向かっている。女性が男性と対等な地位を獲得し,また,主人公が女性でなければ描けない映画すら登場している韓国映画は,少しずつではあるが,確実に世界に向けての文化輸出国としての地位を確率しつつあること,そして社会における女性の意味が変容していることの証拠ではないだろうか。