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2001/04/01 再び外出。
今日も午後からは「観光名所」へ出向く。「昌徳宮(チャンドックン)」である。パンフレットによると,朝鮮時代の宮殿の原型を非常に多くとどめており,1997年に世界遺産にも登録されたそうである。S君によると,特にその中にある「秘園(ピウォン)」が美しいらしい。
世界遺産のために勝手に入って見物するわけにはいかず,ガイド(券売所の掲示によると,「日本語」「英語」「韓国語」の三種類があるらしい)について見学しなければならない。入口の前では当時の儀式を再現したパフォーマンスが行われていたが,日本語ガイドの出発時間が迫っていたので,無視して中に入る。他の日本人と一緒に見学するのも何となくイヤだったので,韓国語ガイドについていこうかな……と思ったが,入口の表示を見ると種別は「韓国人」「日本人」「英語」の三区分。言語ではなく,国籍別に見物しなければいけないらしい(笑)。
宮殿そのものはソウル市内に非常にたくさん残されており,建物の作りや色使いはどこも対して変わらない。ピウォンもパンフレットの写真で見て予想していたよりはこじんまりしており,さらに美しい時期を逃したらしく(紅葉シーズンと花盛りが美しいんじゃないかな),ちょっと不満が残る。敷地は広く,坂も多いが,日ごろソウル大で鍛えられている我々には問題なし。難点はガイドがうるさいことと,ガイドのペースが早くゆっくりと見物できないことだ。入場料も青少年1,100ウォンとちょっと高めの設定。
帰りがけに「タプコル公園」に立ち寄ってみるが,今度もまた入れない。入口の看板によると8月末まで「タプコル公園聖域化整備事業」が行われるとのこと。前回と同じように門の外には「歴史歪曲教科書反対」の懸垂幕が下がってました。毎回思うのだが,この近くだけはちょっと空気が違うように感じる。日本語を話したくなくなる雰囲気である(タプコル公園の入口には日本語の解説パネルもあるんだけどね)。
2001/04/02 五分間発表。
先週,時間切れでできなかった五分間発表をやる。予め準備をしていったものの,持ち前の貧弱な韓国語力のため,基本的な文法は間違えるわ,言葉は出てこないわで散々であった(泣)。やはり,三年間のツケがまわっているらしい。ハタから聞いていたS君によると,「他の学生は笑みを浮かべながら暖かく見守っており,微笑ましい光景が展開されていた」とのこと。嬉しいんだか,悲しいんだか。
サイバースペースの概略について説明したため,「記号論とは何ですか」「メディア論はMITが一番研究が進んでいるるといったのに,どうしてソウル大にきたんですか」などなど辛口な質問を飛ばされ,内容的にも撃破された(爆)。考えようによっては,質問をしてもらえた=内容がなんとか伝わった,ということでマシな方だったのかもしれない。
2001/04/03 直訴。
いまだに学生証が発行されない。さすがに堪忍袋の尾が切れたのか,学科の事務室に交渉。すると,「そんなに欲しいのだったら,本部の学生課に直接行け」とのこと。写真をもう一枚要求され,学生証を発行してもらうのに一ヶ月以上待たされた上,写真を三枚も消費するハメになった。本部には電話で連絡をとってくれているそうなので,明日行くことにする。
例のサイバーテロ以来,産経新聞のホームページに接続できない(一時接続できたこともあったのだが)。あくまで素人の予想だが,krドメインからのアクセスをはねつけているようだ。すっかりサイバーテロ犯扱い(苦笑)。しかたがないので,jpドメインのホームページに設置されている「フィルター」を通して閲覧することに。S君も閲覧不可問題には頭を悩ませていたらしく,このことを教えてあげたら非常に喜んでいた。しかも,「旧かな・旧漢字変換フィルター」を通すと,産経らしさがアップするということでご満悦,まさに一石二鳥であった。
2001/04/04 学生課→ふたたびスセク。
授業が終わって急いで学生課に向かうと,担当者は不在。暇を持て余してパソコンでトランプゲームを楽しむ係官を尻目に,20分くらい偉そうにソファーで新聞を読んでいると,担当者が登場である。「では,学生証を作りますので,奥の部屋に来てください」。言われるままに奥の部屋に行ってみると,そこにはパソコンとスキャナーとカード印刷機が1台づつ。写真を受け取った係官は「手作業」でスキャナーにセットし,「手作業」で学籍番号を入力し,「1枚づつ」プラスチックの板を専用プリンタに挿入し,ものの3分で学生証は完成。
驚いたことに,ソウル大生の学生証はすべてここで手作業で作っているらしい。3万人を超えると言われるソウル大生の学生証を1枚1枚手作業で作っているとは……気が遠くなる作業である。話によると1日300枚が生産限界とのこと。写真の提出が遅れた(というか他の学生と一緒に写真を提出することは不可能)僕の学生証は,おそらく順番待ちだったのだろう。こんな単純作業を,外部化・自動化せずに,人手を使ってやっているソウル大。何と非効率! 非生産的! 非人道的!
おかげで遅くなってしまったが,急いでスセクの元ステイ先へ。知り合いの美容室に連れていってもらうためである。韓国ではかなり有名なところらしい。一般に,韓国の美容師の技術は非常に低い(注文通りやってくれることはまずない)。女性の髪型を見ている限りは分からないが,韓国の男性の髪型を見てみれば分かる。側頭部と後頭部を短く刈り上げた髪型以外は余り見かけないからだ。少々不安だったが,さすがにひどい目に遭うことはなかった。ただ,脱色と染色の技術はあまり高くない。30席以上ある大きな美容室なのに,脱色・染色用のヒーターの設備がなく,ほんのちょっとドライヤーで暖めるだけ。これではしっかり色が抜けないし,しっかり染まらない。あと,自分の注文通りではなく,美容師(そこでは先生と呼ばれていた)の気に入ったように切られてしまう。S君は「もっと短く」と注文したが「頭の形がうんぬんかんぬん……」と蘊蓄を垂れられ,思い通りにはならなったようだ。所要時間4時間。元ステイ先に帰って美味しい食事をいただきました。
2001/04/05 植木日(シンモギル)で休み。
今日は公休日である。その名も「シンモギル(植木日)」。そもそもは,朝鮮戦争で荒廃した国土を緑化するため,みんなで木を植えましょう,という日だという話を聞いた(が,後でS君が確認したところ,制定されたのは1946年で朝鮮戦争の前であることが判明。これは俗説に過ぎないようだ)。
ひさびさに朝遅く起きてブランチ代わりの食事をいただいたあと,江南まで送ってもらい,そこからバスでソウル大まで帰る。さすがシンモギルだけあって,ソウル大の正門付近には登山客がいっぱいである。正門の横には「登山客入構禁止」という小さな看板があるのだが,登山に適したこのシーズン,構内では毎日のように登山客を目にする。あと,なぜだか知らないが,構内の芝生では労働運動のおそろいのベストを着た集団が宴を開いていた。怪しい。
二人で日本語で会話しながら歩いていると,前からやってきた韓国人の子供に悪口を言われた。どうも韓国語が分からないと思ったらしい。あとでS君が「ムスンマリヤ(何言ってんだ)」と子供に言ったところ,子供はお父さんにしがみついていたそうだ。日本人,韓国人のガキに勝利。
寄宿舎に帰ると,学科の友人から電話。学会(学科の中の勉強会サークルみたいなもの)で集まりをやっているので来いとのお誘い。だいたいの1・2年生はどれかの学会に参加するらしく,僕も「歴史学会」なるものに加入したのだ。行ってみると,寄宿舎裏の芝生の広場で,学科のメンバーがみんな揃って,豚カルビを喰いながらマッコルリをあおっている。最後までいようとも思ったが,疲れていたし,寒くなってきたせいもあり2時間ほどで帰る。学会は毎週1回あるそうだが,それが何曜日かは全員の都合を聞いて後日決めるとのこと。
この場で「ポンテギ」なる食べ物を初体験。カイコ(確か)のさなぎを砂糖と醤油で薄味に煮付けたものである。食べられないことはないが,たくさんは喰えない。もともとは虫なのでニオイがきつく,あまりおいしくない。昔は街の屋台でよく売っていたらしく,安かった(30台後半の語学堂の先生によると10ウォン程度)こともあって,韓国人はおやつ代わりによく食べていたそうだ。煮汁も飲んだらしい(うぇぇ)。今でも比較的食べられているらしく,今回食べたのも缶詰(缶詰にするほど人気があるのか)のポンテギだった。もちろん,韓国人の中にも苦手な人はいるようだが,社会学科の学生はだいたいがむしゃむしゃ食べていた。S君によると外交学科の学生はあまり食べなかったとのこと,学科にょる育ちの違いだろうか(苦笑)。
2001/04/06 図書館登録終了。
美容室での疲れがなかなか取れない。毎朝4時間の語学堂の疲れも加わって,体がだるい。語学堂でもいねむりしそうになる始末である。金曜日は午後からも授業があるのだが,人(社会学科の院生)と会う約束があったため授業を休む。学生室に寄ろうとも思ったが,眠くて仕方がないので。図書館の利用登録を中央図書館で済ませて寄宿舎へ戻る。
だんだん恐れていた「語学堂パラドックス」が現実のものになりつつある。語学堂が忙しくてなかなか学科に顔を出せないのだ。「語学堂パラドックス」とは,語学堂の勉強を一生懸命すると,学科の人と話せず会話量が不足する。しかし,学科の人と飲みに行くと,勉強量が不足して語学堂を修了できない……というもの。目に見えて語学力が向上しているわけではないしなぁ……悩みどころである。
2001/04/07 洗濯と勉強。
朝食を寄宿舎の新館食堂で取っていると,昨日休んだ授業の教授がそこにいるのを発見。家族と一緒にラーメンとキンパプを食べていた。出がけに名前を呼んでみたが,人違いか気づかなかったか,返事はない。外見・声を総合して判断するに,明らかにあの教授だと思うんだがなぁ……。と,どうしてスーツ姿の教授が家族と一緒に寄宿舎の食堂で食事をとっているんだろう?
結局ずっと寄宿舎で過ごす。急いで書かなければならないレポートを進める。それで1日が終わる。
2001/04/08 レポート完成。
レポート完成。日本に電子メールで送信。S君が午後からヨンサン(龍山)に行くとのことだったので,「JSA」のビデオCDと,韓国のCDを2枚適当に買ってきてもらう。ことわっておくが,両方とも歴とした本物である。S君が買ったビデオCDはなかなか大変なシロモノだったらしいが,詳しくは彼の日記を参照してほしい。また,ヨンサンの「惨状」については過日の日記で触れたので,そちらを参照。
2001/04/09 学会初会合。
朝から非常に暑い。起きると寄宿舎がちょっとむっとしていた。というわけでTシャツ1枚で語学堂に出かけるが,寒くもなくちょうどいいくらいだった。次の日の新聞で確認してみると,ソウル市内は26度まで気温があがったそうだ。日本もきっと暑かったことだろう。
夕方からは歴史学会の会合(というか飲み会)。普通はソジュ(焼酎)を飲むことが多いのだが,今日は珍しくビールでスタート。おつまみもチキンにトンカツ,タンスユッ(酢豚みたいなもの)といつもと違う。その後,レモンソジュ,ソジュと続いた。初めて会う学生もいたが(普段あまり学生室にいなかったりして),挨拶がわりに「教科諸問題」の質問である。「すべての学校があの教科書を使うわけじゃないし,あれだけ問題になった教科書をあえて使う学校も少ないだろう」との意見を述べて,「挨拶」終了。あまりスポーツに詳しくないので,学生の話題に入りにくいのがちょっと辛いところだ。
1次会は午後10時ころ終了。今週の金曜日には語学堂のテストがあるため,早々に帰宅させてもらった。
2001/04/10 二回目の遅刻。
朝目がさめるとすでに9時。語学堂に30分の遅刻である。語学堂への遅刻はこれで2回目。語学堂では4回の遅刻が1回の欠席とカウントされ,欠席を6回以上すると不合格となってしまうため,無闇に遅刻するわけにはいかない。何せ非常にたくさんのカネを払っているのだ。もったいなくて休んでられるか(笑)。
年をとっているせいか,飲み会からいくら早く帰ってきても,次の日は体が重い。単に太っただけという説もあるが(苦笑)。
2001/04/11 テスト前にも関わらず。
明日は語学堂の「話し」のテストである。語学堂の試験は「読み(イルキ)」「書き(スギ)」「聞き(トゥッキ)」「話し(マラギ)」の4セクションに別れており,最初から3つ目までは金曜日に,1対1でやらねければならない「話し」の試験だけは明日行われるの。授業中に出てきた表現や単語を使っての先生とのフリートークの他に,テーマにそった3分間スピーチをしなければならない。3分間スピーチは自分の好きなテーマでやればいいわけではなく,あらかじめ発表された4つのテーマのなかから,その場で1つが選択されるため,本当は4つすべてのテーマに関して話す内容を考えておかなければならないのだ。
とはいえ,せっかく午後は授業がないのだからと,大学の入口からバスに乗ってヨンサンへ向かう。CDを買うためである。韓国ではCDに対しては再販制度がないため,新着CDでも店によって値段が異なるのだ。前回S君にCDを頼んだところ,普通のお店よりも安かったため,電話で店の場所を聞き,同じ店に向かう。場所は国鉄ヨンサン駅の改札の真ん前。ターミナル電子ショッピングビルの中である。ここであらかじめみつくろっておいたCDを7枚購入(66,000ウォンくらい)。ついでに生カセットテープも購入(生CD-Rは「コンCD-R」というのに,生カセットは「ピンカセット」というようだ)。気に入った歌手もいるし,韓国のCDの出版形態は独特なので,ここで詳しく書くと長くなりそうだ。CDに関してはまた改めて書くことにしよう。
国鉄ヨンサン駅の前で,トラックにつんでキャンディーを量り売りしていたので,600グラム分購入して帰宅。ヨンサン駅の前では農協か何かの市場が開かれており,駅の前に経つと,何かちょっと前の映画に出てきそうな雰囲気であった。
2001/04/12 語学堂「話し」テスト。
「話し」テストは一朝一夕にできるようにはならないので,結果はあまり気にしてはいないが,やはり「発音」に問題があるのと,文法的ミスを多く犯してしまうらしい。今後の課題ということで心に留めておきます。
普段は語学堂は13時に終わるのだが,今日はテストのため12時ごろ終了。語学堂の友人と食堂に行くが長蛇の列である。長いこと待って結局食事にありつけたのは12時35分ごろ。語学堂が終わる時間が,ちょうど食堂が空きはじめる時間のようだ。語学堂から一番近い経営館食堂は「午後1時を境に,韓国人と外国人が入れ替わ」っているようだ。
珍しく午後1時からの授業に遅れずに出席。ニューメディア論は簡単なので理解度はほぼ100%。午後4時からの情報社会学はやや難しいが,だいたい内容は分かる。情報社会学の先生は日本人(かつ韓国語のできない)僕を無視して授業を進めているものだとばかり思っていたが,今日の授業では日本の事例が多く登場し,「日本では……でしょ」とかなりの頻度でこっちにふられた。僕のことを意識してくれているらしい。前回の特別講義で質問した効果だろうか? 韓国語はできないが,バカには思われていないようだ。一安心。「韓国語があまりうまくない→考えが表現できない→頭が弱い」と思われてるんじゃないかと,結構心配なのです。そんな心配をしなくてすむようにも,韓国語を早く何とかしたいものです,ハイ。
2001/04/13 語学堂テスト。
今日のテストは概ね順調だった。聞き取り試験は,文章が短いために一つも単語を聞き落とすことができず,また,聴覚的情報のみであるため,黒板や資料もあるし,前後の文脈からの推測を使える普段の授業よりも難しく感じられた。
昼食をとった後で午後1時からの「南北分断と韓国戦争」に出席。資料の量が多く,今の語学力ではあらかじめ読んでいけないので内容はなかなか難しく感じられる。耳になじみのない人名や団体名も多く出てくる。その中で教授は教科諸問題に触れて次のようなことを言っていた。
「まず,日韓関係において,これまでは日本が常にリーダーシップをとってきたが,教科諸問題は韓国がアドバンテージを取っているイシューであり,これは日韓関係において韓国がリーダーシップをとるいい機会である。また,日本の教科書のことばかり非難しているが,これをみて自国(韓国)の教科書について考える姿勢や言説がまだ出てこない。わが国(韓国)の教科書も検討しなければならない点があるはずだ。」
まさにその通り。2番目の意見に対してうなづいている学生も見られた。韓国の国史の教科書を全部読んだことがないので,まだ何とも言えないが,自らを棚にあげて批判する姿勢はよくない。例えば,ベトナム派兵の際,多くの韓国人とベトナム人のハーフが生まれたという話も聞いたことがある。レイプをし,殺害を働いたとされる韓国人はベトナムでは評判が悪いという話も聞く(もちろん,若い世代ではそんな風に思っていない人も多いはずだ。実際,語学堂では2人のベトナム人と一緒に学んでいる)。歴史は事実の羅列では決してないし,全く偏りのない歴史なんてありえないはずだ。どんな記述をするにしても,「改善すべき」という批判を受ける部分がでてくるに違いない。一応日本の文部科学省にも,外国の教科書における日本の記述をチェックする機関があるという話を聞いたことがあるのだが……。
本当は11時から交換留学生向けのオリエンテーションがあったらしいが,当然参加できず。S君によると,学長級の人と会ったり,豪華な昼食を食べることができたそうです。交換留学生の中には語学堂に通っている人も多いはず。もうちょっと考慮してください。と,その場でS君に不満を代弁してもらいました。